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イランの世界遺産


 イランには、悠久の昔… ペルシャの時代から世界史でもたびたび主役として登場するほど時代を作り上げてきた歴史があります。
現在認定されている世界遺産の3つも、その歴史と栄華を感じさせる遺跡と建物です。
それではご紹介しましょう………。

チョーガ・ザンビル
チョーガ・ザンビル
フゼスターン州
1979年世界遺産登録
紀元前13世紀のものと思われる遺跡を含んだ一帯

 広大な砂地と野原の中に、同じ色をしたジグラット(階段式神殿)がたたずんでいる
チョーガ・ザンビル。その姿が大きな籠(かご)のような山に見えることから、そのような名がついたと言われていますが、近づいてみるとレンガの積み上げの建物とわかります。

 紀元前13世紀、古代エラム王国の都市だったといわれているその遺跡には時の王ウンタシュ・ガルの宮殿・山を崇拝する神殿・倉庫・ハーレム・上下水道・王族たちの宮殿の数々・地下墓地・凱旋門・・・などの跡が残っており、当時イラン高原で産出された貴石や鉄や銅などによって2000年もの間栄えた王国の軌跡を感じることができます。

 ジグラットの正面にはこのような銘文があります。

「我はフンバヌメナの子、アンザンとスーサの王ウンタシュ・ガル…
  ジグラットを我輝かせり、作られ美しくせられしところのものども、
    神イン・シュシナクにより、永遠に保存されんことを」


 3300年の時を経て、1935年に発見されたチョーガ・ザンビル。永い眠りから覚め再び人々の目に触れる事になったことを、そして世界遺産となったことを、王は喜んでいるかもしれません。

 なお、現在も日本とフランスの共同で保存プロジェクトが進んでいます。



ペルセポリス

ペルセポリス

ペルセポリス

ペルセポリス


ファールス州
1979年世界遺産登録
紀元前5世紀に着工され紀元前3世紀まで栄華を極めたアケメネス朝の宮殿の一つ


アケメネス朝時代、代々の王たちは創始者キュロス2世が築いた都パサルガダエ以外に「冬はバビロン、春をスーサ、夏はエクバダナで過ごす」と言われ、ペルセポリスは帝国第5の都で、新年の祝賀行事の為だけに築かれた都だったと言われています。
帝国内の様々な民族の人々が、新年を迎えた頃に宮殿へ貢ぎ物をする様子が、ペルセポリスの柱や壁に浮き彫りとして描かれていたり、敷地内に広く謁見の間が設けられていることから、そのように推測されているのです。

アパダナ宮殿を望む

アパダナ宮殿を望む
貢ぎ物を持った使節団が、王と謁見する大広間「アパダナ宮殿」の柱。手前の人と比べるとその高さや広さが想像できます。

使節団

使節団
それぞれの民族衣装に身を包んだ使節団が、地元の特産品を貢ぎ物として携えている様子が彫られています。

アルタクセルクセス2世の墓

アルタクセルクセス2世の墓
ケメネス朝時代、王はゾロアスター教の主神と密接な関係があると言われていた為、そのモチーフが描かれています。

1:近衛隊 2:王と野獣の戦い

1:近衛隊
アケメネス朝の近衛兵達。フェルトの帽子をかぶり、手には槍を持っています。
2:王と野獣の戦い
王の威光を示す為に、王が猛獣と闘って仕留める様子をあらわしています。

 伝承では、紀元前330年1月、東方遠征中のマケドニア国王アレクサンドロス(若干26歳)がペルセポリスに入城し、焼き討ちの上陥落した際に、3000トンの黄金・金糸で装飾された衣服・家具調度品・紫に染められた織物…とありとあらゆるペルシャの財宝を略奪し、一方、敗北したアケメネス王ダリウス3世は「逃げ腰な自分に比べてなんと勇敢な王!」とその英雄をたたえながら息を引き取った…とされています。

 しかし、新年の貢物の貯蔵庫にしてはあまりにも壮大で豪華な装いだったペルセポリス。
16世紀にペルセポリスの都跡と判明され、19世紀に楔形文字が解読されて歴史が明らかになったとは言え、崩壊から2300年以上がたった今でも、ペルセポリスの用途、炎上の真相とも謎に包まれたままなのです………。

近代になってからは、1979年のイスラム革命によって追放されたパハラヴィ国王が、大ペルシアの再現を夢見て、ここでペルシャ建国2500年祭を開いた事もありました。

ペルセポリスは、山を背にした高台の上に広がっており、おおまかに6区画より成り立っています。「クセルクセス門の区域」「ダリウス1世の謁見の間」「宮殿跡」「百柱の間」「宝物殿跡」そして「磨崖の王墓区域」です。その中で、高い天井を支えていた「謁見の間」の柱は現在も整然と空に向かって立ち、当時を偲ばせると共に、その大きさに圧倒されます。

遺跡の一部はテヘランの国立博物館でも展示されていますので、イラン南部へ行けない時は、そちらで歴史を味わいたいですね。



※↑画面をクリックすると拡大写真がご覧になれます。

イスファハン州
1979年世界遺産登録
16世紀サファヴィー朝時代に着工した壮大な広場とモスクと宮殿


 イランはその中心が砂漠の地ですから、水に恵まれていないと想像されるかたもいらっしゃるかもしれませんが、実はイランを取り囲む山脈や湖、豊かな気候などがあいまって、豊富な水をもたらしているのです。それを象徴するかのようにイラン高原中央にあるイスファハンの街には、広大なザーヤンデ川をはじめ花や緑や泉水があふれており、その中に浮かぶイマームの広場とモスクは、400年以上経った現在も華やかな色を放っています。


イマームの広場

イマームの広場

東西160m、南北510mの広場には、毎日人々が多く集います


 イマームとは最高指導者、つまり王のことを意味します。1597年、サファヴィー朝第5代王アッバース一世がこの地を都として選び、かつて何世紀もの間他民族に支配されていた事の反動かのように、壮大な都市計画を実行しました。

 都市計画は土地や建物の整備だけではなく、政治、経済、文化、宗教に至るまで総合的にペルシャの(イスラムの)世界をイスファハンに作り上げることでした。街の建設は猛スピードで進められましたが、王はこの完成を見ずに他界。当時「イスファハン・ネスフ・シャハン(イスファハンは世界の半分である)」と言われた都が完成されたのは17世紀後半のことでした。

 現在もイスファハンは、広大な平地に整然と区画された美しい街並みが広いがっており、ホテルや美術館など施設や見所が充実しています。

 そして、この広場もモスクも日中多くの人でにぎわい、周辺には名物のバザールがいくつも点在して非常に活気があります。海外だけでなくイランの人々にも愛され続けている街であり、屈指の観光地なのです。

イーワンのモザイク

イーワンのモザイク
ペルシアンブルーの色が鮮やかな、イマームモスク入り口のイーワン(トンネル型天井室)。細かなスタラクトライト(鍾乳石状の装飾)で覆われています。

イマームモスク

イマームモスク
アッバース一世が広場に最初に作らせた「イマームのモスク」。4つのミナレット(尖塔)は高さ54mにもなり、二重構造になっているモスク内では、天井の真下で手を打つと反響が返ってきます。


シェイク・ロトフォッラー・モスク

イマームの広場の東に位置する「シェイク・ロトフォッラー・モスク」
大衆に開かれたイマームのモスクに対して、こちらは王族達の個人礼拝所でした。また、青が基調のイマームのモスクは「男性のモスク」と称され、こちらは暖かな黄色が基調の小ぶりな「女性のモスク」と呼ばれ親しまれています


アリーカプー宮殿

広場ができる前からあった西側の
「アリーカプー宮殿」
アッバース一世が増築、アッバース2世がテラスと上層階を増築しました。テラスでは広場で行われるポロなどのスポーツを王族が観戦したり、宮殿には客人をもてなす迎賓室があったり、音楽室があったりしました

陶磁器の間

アリーカプー宮殿最上階の7階にある「陶磁器の間」
壁や天井下部に、鉢や壺の形にくり貫かれた装飾があり、当時は陶磁器などが飾られ、音楽演奏時の音響効果が考えられていました。

ザーヤンデー川

イマームの広場の南方に流れるイスファハンの泉「ザーヤンデー川」



スィーオセ橋

ザーヤンデー川に架かる橋
「スィーオセ橋」
1600年に建造されたといわれ、橋下のアーチは33個、橋上のアーチは100個あります。

チェヘル・ソトゥーン宮殿

イマームの広場に隣接する
「チェヘル・ソトゥーン宮殿」
宮殿に20本の円柱が立てられており、前庭の大きな池にその影が映ると、柱(ソトゥン)が40本(チェヘル)に見えることから、この名前がついたといわれています。内部には彫刻や壁画などが飾られています

チェヘル・ソトゥーン宮殿内にある絵

チェヘル・ソトゥーン宮殿内にある絵です。
トルコ高官を迎えるシャーアッバス2世が描かれています。