株式会社ペルシャンワールド 会社案内サイトマップe-mailEnglish
ホーム > 絨毯の知識 > ペルシャ絨毯の豆知識
デザイン | 制作工程 | サイズ・形・各部位名称 | 豆知識

 世界で最古の絨毯は永久凍土の中から発見されました!
 ペルシャ絨毯に薔薇のデザインが多いのは?
 ペルシャ絨毯と日本
世界で最古の絨毯は永久凍土の中から発見されました!
パジリク絨毯
パジリク絨毯
 1947年、ロシアの考古学者ルーデンコ氏が南シベリア・アルタイ山脈にあるパジリク古墳の永久凍土の中から氷結した絨毯を出土しました。氷の下に眠っていた絨毯は腐食を免れ、ほぼ当時の状態のままで発見されました。

 出土した絨毯は「パジリク絨毯」と呼ばれ、紀元前500年頃の中央アジアで制作されたと推定されました。しかし、何処で誰に制作されたものなのか…ペルシャなのか、当時南シベリアを支配していたとされるスキタイ人の手によるものなのかは、不明のままなのです。この当時ペルシャは、史上初の大帝国としてオリエントを統一したアケメネス朝の時代でした。帝国が大権力を誇示したこの時代を象徴する遺跡「ペルセポリス」には、たくさんの彫刻が遺されています。パジリク絨毯と一緒に出土した中に、このペルセポリスの彫刻と似たデザインの副葬品が見つかっていることから、パジリク絨毯はペルシャ製ではないかとの説もあがっています。

 この絨毯がペルシャ製であろうがロシア製やトルコ製であろうが、あまり重要な問題ではありません。2500年前の絨毯が、現在のペルシャ絨毯と同様の方法で制作されているという事実こそが重要なのです。

 パジリク絨毯には二つのボーダーがあります。外側のボーダーには武装して馬に跨る人物、いわゆる騎馬隊が、内側のボーダーにはトナカイが、それぞれ描かれています。フィールドはパネル柄のようなデザインです。サイズは200cm×183cm、織りは現在のタブリーズと同じトルコ結びです。

 現在は、ロシアのサンクト・ペテルブルクにあるエルミタージュ美術館に所蔵されています。
ペルシャ絨毯に薔薇のデザインが多いのは?
薔薇の絨毯 (ラフマニ工房)
薔薇の絨毯 (ラフマニ工房)
 薔薇といえば、最近はイングリッシュローズ、オールドローズの栽培が日本でも流行しています。薔薇栽培の発祥はフランスかイギリスのようなイメージがありますが、古い文献をたどっていくと、最古の薔薇栽培の発祥地は古代ペルシャ(現イラン)とされています。

 薔薇の都イラン、シラーズにある「エラムガーデン」(エラムとは楽園の意)では、その名にふさわしく薔薇を中心に花々が咲き乱れる庭園です。シラーズの人々も薔薇を愛し庭に薔薇をたくさん植えているので、シラーズの春は薔薇の香りにつつまれます。

エラムガーデン
エラムガーデン
 また、イランの人々は古くから薔薇水による薔薇の香りを生活の中で使っています。現在もイランでは薔薇の花弁を水蒸気蒸留して薔薇水を採取します。薔薇水は、お菓子作を作るときの香料としてよく使われます。また、薔薇の香りによるリラックス効果によって、葬儀の参列者が悲しみを和らげるために手や首に付ける、といった使われ方もします。

 薔薇と絨毯は、イランの人々の生活に古くから密接な関わりを持ってきました。その中で、絨毯のモチーフとして薔薇が織られるようになったのは自然のことなのでしょう。 薔薇はイランの国花でもあります。
ペルシャ絨毯と日本
京都・祇園際の山鉾
京都・祇園際の山鉾
 日本三大祭のひとつとして毎年多くのファンを集める京都の祇園祭。そこには、絢爛豪華な懸装品で飾られ「動く美術館」とも称される名物の山鉾が登場します。

 高さ20メートルを超える巨大な山鉾の懸装品には、16世紀から18世紀にかけて制作されたペルシャやインドの手織り絨毯が用いられ、中には重要文化財に指定されている物もあります。珍しい異国の絨毯などを山鉾の装飾に使った当時の京都の裕福な町衆の熱意が伝わってきます。

 日本で本格的に絨毯の輸入が始まったのは、1964年の東京オリンピックの頃からで、ヨーロッパの機械織り絨毯が主流でした。1975年頃からは円高ドル安の影響もあり、ペルシャ、パキスタン、トルコなど中近東産の高価な手織り絨毯も一般に普及し始めるようになりました。